タイトル変わってるけど気にしないでください、前回の続きです。
自分の話します
自分語りうざいかもしれませんが、どうしても自分のその当時の境遇を書かないと必然性?が説明できない気がしますので書かせてください。
私はあるスポーツをやっていました。
全然マイナーなミジンコ選手でしたが、10年以上携わってぼちぼちのことをしていました。
そろそろ年もありバリバリ試合は引退かな?という時期に来ていました。
ですので、まだ足りないながらも指導側になることを少しずつ始めていて、こんな私のことを先生と言ってくださる方もでてきました。
ずっと現役の選手でいることはできないスポーツでしたが、こうして指導側になること、趣味としてゆるく続けることで生涯することも可能だと思っていました。
私にはなくてはならない競技でした。
また、仕事はフリーランスであれこれとしていましたが、そのスポーツ関係のことだけで自分で営業することなく収入は少ないながら十分の依頼がありました。
ほとんど、何も不満がない状態だったのです。
、、、ところが、2010年頃から陰りがありました。
原因不明で体調が非常に悪いのです、天井が回るほどめまいがしたり、座っていることすらつらいくらいに、何か月も練習できない状態が続きました。
その頃ですね、前回書いた某アイドルグループのことを知ったのは。
それまでずっと練習、片道1時間半の練習場まで毎日のように通っていました。それと仕事もあり、余暇というものがない状態でした。
休まないといけない状況になり、動画をたくさんみることができました。
2011年になっても体調は戻りません。毎日のように原因不明の38度以上の熱が出ました。
さらにその時期、体調がわるいだけではありませんでした。
私はずっとお世話になっていた所属を、複雑な人間関係で離れなければならなくなりました。
一人で次の所属をどうしようかと悩みました、どこかに入らないと試合ができない、、
そんな時期、”ボーカルトレーナーの”フィソン先生のことを知りました。
知った途端に軍隊入隊
この記事に書いたログによると2011年10月4日にフィソンが軍隊入隊することを知ったようです。
そして10月21日に、
「韓国で試合してやるー」とか書いてます(笑)ちょうどそのころ、競技関係で韓国との縁も(不思議と)できたんです。
私は何か、フィソンの入隊を自分の最後の奮起につなげようと思ったんですね。
それから毎日夜明け前に起きてランニングして、ウエイトして、、、
最後の試合にするつもりでがんばりました、だってその前の試合で負けてるので、負けたまま終わるのはイヤだった。。。
でも全然だめなんです、練習しては寝込み、上から下からいろいろ出てくる状態。
病院行けと皆に言われながらもぎりぎりまで行きませんでした、そのうち治ると、
でもおかしい、この具合の悪さは普通じゃない、、、
休んでいる時、私は現実から逃避していました、それにはYOUTUBEを見るのが一番でした。
フィソンを知ってから、かたっぱしからフィソンの動画を探し、フィソンの情報を探しました。
そこで見つけたのが、

「うつ病や挫折など過去を赤裸々告白」???
どういうこと?
あの、成功している、天才的な歌唱力のフィソン先生が??
私の中でイメージが混乱しました。
あんなに楽々難しいWith Meみたいな歌を歌って、後輩を指導して尊敬されてる人が過去に何があったんだろう、、
・・・この本、読んでみたい。
本を見つけるのは簡単でした。当時まだ発売中だったので、楽天で韓国製品を扱ってるお店でいくらでも売っていました。
注文してすぐに来ました。
しかし、韓国語です。
ハングルすら知らない私。
そして以前もファンレター記事で書きましたが、3日で覚えるハングルという本で、光の速さでハングルのしくみだけまず知ります。
휘성(フィソン)という文字を打てるようになりました。
すると見られる動画、知れる情報の幅が格段に広がりました。
휘성が苦労して今の歌唱力を得たこと、繊細な性格だということが少しずつわかってきました。所属事務所で苦労していたことも知りました。
この人を知れば自分の何かが変わるかもしれない
劣等感、自虐、自分に自信がない、舞台恐怖症、、
そんな言葉はまさに私自身にぴったりでした。
私の話に戻りますが、競技をはじめたとき、コーチは「何しに来たんだ?お前みたいなのが来るところじゃない」という態度で受け入れられませんでした。
それでも通い続ける私をしぶしぶ受け入れ、試合に出たいという私にコーチは、どうせできないだろうと、当時の私にはとてもクリアできないようなきつい条件を出しました。
私はそれこそ狂ったように練習して、それをクリアしたんです。そこからが始まりでした。
競技を10年続けて、私のことを弱いと言う人はいなくなりました。昔弱かったということを、謙遜と思われ、信じてもらえないくらいになっていたのです。
でも実際はそんなに強くないし自分でも強いと思えたことがない、、この世で自分が一番弱いんじゃないかと思ったりもしました。
さらに、人から変だといつもいわれたんですが、試合に出たいくせに、試合が怖いんです。人がたくさんいる前にさらされるのも怖い。
いつも逃げたかった。それでも試合をしたいというのは自分から出た感情だったんです。試合せずにいられない。
いざ、試合をすると、感情は消えて集中できます。そして終わると、やってよかった、またやりたい、と思うんです。
そして次の試合が近づくとまた逃げたくなる、、なんで私こんなことやってるんだろう。。。
私の試合を見てくださる方には、とてもそんな風には見えないと、堂々としてたと言われるんです。遠くからわざわざ私を見るために来てくれる方もいらっしゃいました。
試合してると全く違う自分になるんです。だから人は違う姿の自分のことしか知らない。。。
褒められれば褒められるほど、この人は私を全く分かってない、誰もわかってくれない。。という気持ちが強くなるばかり。
カスニムのファンの皆様すみません、、もう何が言いたいかおわかりかもしれませんが、、、
フィソンって私に似てる、、って思ったんです。
すみませんすみません、、規模で行ったら1000万分の一くらいのスケールですので、、おこがましいのをご容赦、、
こんなんなので、もしや、今、フィソンという歌手が、同じような課程を解決して、今の地位で安定しているなら、この方の経緯を知れば自分のこの性格もなんとかなるのでは?と思ったんです。
どんどん悪くなる体調、トレーニングもままならない中
本を読むために、ハングルを学びながら、フィソンの入隊、2011年11月7日を刻一刻と待つ日々が続いていきました。
今回はお目汚しいたしました、、次回はカスニムのことをたっぷりと書く予定。
・・・続く