ぜいたくはいいません、一日も早く笑顔の姿を写真でもいいので見たいです。
フィレンのインスタを貼っておきます。
掲載されているのはコンサートで披露されたフィソンからのファンへの”手紙”です

再掲ここから
私は、自分自身が何かすごい存在になることをいつも夢見てきたほどには、すごくはない人間です。
そのため私には、皆さんが私にくださる関心と応援が身に余ります。
あの人たちは、本当の僕の姿を知らないのに、あのような過剰な励ましをしてくれるんだな。
僕は本当に大したことないのに…と、あまりにもしつこく考えすぎて、時にはみなさんがくださる関心に背くような行動する時があります。
何かすごく悪い男に見られたり、誤解もたくさん受けるけど…満足できない自分の姿があまりにも恥ずかしくて、本当にこの場所に僕が居ていいのだろうかという気持ちが大きくてそうしてしまうようです。
私は子供の頃、友達とのつきあいがぎこちなくて、一人で音楽をたくさん聞いて、歌をまねて、踊りを踊ってみたら、いつの間にかダンサーとなって、歌手になって、こんなにも多くの方々の前で、私が作り出した曲で公演までするようになった、本当に運がいい人間です。
しかし、自分の頭の中ではもっと野心があったようで、素晴らしい人にちょっとなってみようかと、あれこれ試みをしてきましたが、言うようにはできず、しょっちゅう悔しくて憂鬱で虚無感を本当にたくさん感じてきました。
ところが年をとってきて、よくよく考えてみると、その素晴らしさというものは大したものではなかったようです。
僕がみなさんを笑わせ泣かせ、慰めることができる才能があるのなら、最善を尽くす芸人になるのも、自分で判断するなれば素晴らしい人間ということなんだな、と思います。
もう恰好をつけた、何というか抽象的で難しい、深みがあるように見える芸術には(私は)もうあまり関心がないみたいです。
もともとそうだった気もします。
多くの人々が真のアーティストだと尊重する、数多くの彼らの作品に、大きな感動を受けたことがそれほど多くなかったのをかんがみると、(私は)ただ単純に(アーティストではなく)芸能人だったんだと思います。
私は自分を卑下しようとしているのでなく、私自身が持っている色、その価値についての話です。
私は舞台の上で軽い冗談をするのが好きでありながら、強烈なパフォーマンスをすることも楽しみ、面白く、ひたすらノリノリな歌を歌って、お互い笑って疎通して、悲しいバラードを歌っては慰めて差し上げられる、職業人であるだけです。
そんな私を見に、いつもにこのように多くの方々が貴重な時間を割いて、約20年の間一緒にいてくださるなんて、あまりにも嬉しく、いつも過度な欲が出ます。
私の公演が他の歌手の方の公演より、深みや芸術的価値が相対的に落ちるかもしれませんが、少なくとも楽しんで頂けたらいいなと思います
他のことは望みません、入っていらっしゃったドアからお帰りになる時、少なくとも入場されたときよりは、表情が明るくなることだけを願っています。長い時間、私の名前と私の数多くの曲を覚えてくださっていることに感謝しつつ、本当に心からの歓声と情熱、心からの手振りに、私はいつも舞台の上で感動しています
私は歌うステージ上にいますが、私もまた観客席にいる皆さんを観覧し、幸せを感じています。
ただできる限り最善を尽くして、みなさんを満足させてさしあげたたいと思います。
私の体力と声が続く限り、私はいつもみなさんの前に立ちたいと思います
たまに駄々をこねる幼い姿を見せますが、みなさんに甘えるほど頼っているのかもしれません。
ありがとうございます
今日も私と一緒の場所に居てくださって、
このように私の人生の大きな幸運になってくださって感謝しています、重ねてありがとうございます。
心からみなさんの幸せのために歌います。
フィソン
ここまで