実はまだ動画全部見てないんですよ。。
今回のポイントは『輝』のピアスですよねー
これ、昔にしてたやつなのかな?
なにか意味があるのかしら・・
ところで、私の母親は某スポーツ選手のファンなんですが
さっき電話で1時間くらいトークをきかされました。
これで思ったのは、萌えてない人についてのオタトークはこの上なくつまらないということです(笑)
私はと言えば、更新をしていなくてもペン活は一日たりとも休んでいませんYO
私と繋がりになってる人は私から毎日フィソンの話をきかされる被害に相変わらず遭っています笑
人のふりみて我がふりなおせですね。
今朝はあらためて好きだなあ~という気持ちがじわじわしたんですよ。
夢を見たんです。また。
なんかファンミ?みたいなのがあって
それが終わってからどういう展開かわからないけど、
大きな通りをすこしだけ手をつないで歩いてもらえました(笑)
話した記憶はありません(夢です)
季節は秋でした、黄色いイチョウ並木があったから、
札幌の大通り公園かとも思いました、イチョウ並木があるのか知りませんが
手の感触が残ってます。。ぷぷぷ
で、ちょっと暗かったマインドが復活しました
(自分の妄想力で復活できるから安いマインドだ)
今日は説明つかない感情について、ひとつ自分で腑に落ちたのでそのことについて書きます
画像はこちらから
http://gall.dcinside.com/board/view/?id=wheesung&no=522921
終わってほしいのはなぜ?
私はコンサートを観てるとき、楽しくない、早く終わってほしいとさえ思うことがあるという話をしたら、
全く共感できないと言われました。そうですよね。
自分でもなんでだろうと考えてました。
本当は終わってほしくないんですよ?
その気持ちの違和感です。
以前から書いたことがありますが、私はあるスポーツ競技をしてました。
自分自身は大したことない選手だったのですが、チームメイトにはプロで大舞台で試合する人もいました。
とても危険なスポーツなので、試合前ベストコンディションだったチームメイトが、血だらけで担架で運ばれて帰ってくることもありました。
好きではじめた競技でしたが、やればやるほどエンターテイメントとしては楽しめなくなって、勝ち負けはどうでもいいから無事で帰ってきてほしいと思っていました。
とはいえ「見なきゃいいじゃん」「やめりゃいいじゃん」は通用しなくて、もうその競技の魅力の虜になっていたので離れることは考えられなかったんですね。
ですがまあ、私は競技を離れることになりました。
そんな心の隙間に入ってきたのがフィソンなわけですよ。
たまたま歌手だっただけ
もともと音楽には深い興味はなく、もちろん、嫌いとかじゃないですよ。
聴いてはいましたがBGMとしかとらえていませんでした。
特別好きになった歌手もいたことはなく誰が歌っていようが一緒、オリジナルだろうがカバーだろうが気にも留めなかった
そんな私がなぜフィソンを知ったのかは人生の謎ですが、それはおいておいて。
私はフィソンの歌声や曲が好きだったわけでもなく、(もちろん好きな構成要素ではありますが主ではなく)、生き様が好きになったわけです。
つまりはアスリートや冒険家みたいな人と同列に見てるわけです。
で、コンサートはつまり『試合』
私にとってはエンターテイメント(娯楽)ではないんですね。
いや、もちろんエンタメの部分もありますよ、、ありますが
無事にちゃんと終わるのか?と常に心配目線で見てるわけですよ。
なにかあったらどうしよう、見てらんない!みたいな。
私は競技者だったとき、仲間の試合のために待機しているとき、
「これが歌手のコンサートとかだったらどんなに楽だったろうになー」って一緒に居た人と話してました。
でも実際その立場になってみたらそうじゃなかった。
フィソンも音楽に命かけてますね。
コンサートも毎回必死の思いでやってるんでしょう。
私はそう感じました。ほんと、ヒシヒシ感じるから、怖ろしささえあります。
この人怖すぎる。
もちろんフィソンだけでなく、他にもそういうアーティストの方がいらっしゃると思いますよ。私がたまたまフィソンのことを知れただけ。
コンサート中アクシデントがあったらどうしよう、とか、今のちょっとミスした?あとですごく気にしてしまったとしたら可哀想、どうしようとか考えちゃうんですね、、
実際、ダンサーさんのハイヒールが顔に当たって流血したこととかもあるし、、まあ小さいアクシデントと思えばそうかもしれませんが、、、
あと、MCで腰が痛いとかいうし、泣くしさ・・ほんとドMですよね。。
そしてそして気管支炎とかキャンセルとかトラウマ級の事故もあり。。
独立してからなんてさらに、”一人ブラック企業”みたいになってるんじゃないかしらと心配だし。。
とにかくまあ、これが私の「コンサート早く終わってほしい」謎の感情の正体でした。
要はただの『心配』この感情がなくなるときは好きの対象がフィソンじゃなくなるときでしょう。
だから「心配しなくても大丈夫」とか、「もっと軽く考えて」とか、そいういうアドバイスは全く私に通用しなかったんですね。
自分でもそういう風に考えちゃだめだ、なぜ?おかしいと思ってたんですが、自分で納得がいったので、これからも堂々と胸を張って不安になりたいと思います。
私にとってフィソンはエクストリームスポーツのまさにアスリート。
といった話を長々とされたらそら迷惑でしょうね(笑)こんな人間もいるということで・・
こんな感じのことも書けば、あとあとなんか役にたつこともあるのかしら。